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過去の展示紹介 「明治・大正の社会教育-行政文書に見る埼玉のまなび-」

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年2月29日更新

明治・大正の社会教育-行政文書に見る埼玉のまなび-

1 期間        平成24年1月12日(木曜日)~平成24年2月29日(水曜日)   ※ 休館日 : 毎週月曜日、国民の祝日

2 展示場所     埼玉県立文書館 1階展示室  アクセス

3 観覧料       無料

4 展示資料点数  約50点

大正14年埼玉図書館協会主催 図書館デーポスター【大正14年埼玉図書館協会主催 図書館デーポスター(アド・ミュージアム東京所蔵)】

開催にあたって

 社会教育とは、おもに義務教育終了後の青少年や成人を対象に、広く社会で行われた組織的な教育活動で、学校や家庭での教育とは異なる領域におかれたものです。「社会教育」という言葉自体は、比較的新しいものに感じられるかもしれませんが、すでに大正時代から官製用語として使われ、その源流は、明治期の「通俗教育」にまでさかのぼることができます。

 特に明治後半から大正にかけては、政府による社会教化の手段として社会教育が盛んに行われました。一方、これを受ける側の人々も、自ら新しい教育を求めて活動を起こし、社会教育はさらなる拡がりをみせました。

 本展示は、埼玉県立文書館が収蔵している重要文化財「埼玉県行政文書」を中心に、明治・大正時代の社会教育を振り返ることで、当時の人々の学習活動の一端をご紹介しようとするものです。

 本展示が、県民の皆様にとって近代埼玉の歩みを理解するための一助となれば幸いです。

平成24年1月

埼玉県立文書館     

 趣意書青年団表彰ノ件一括

(左)「趣意書」(丹荘自由大学)【高橋(周)家1300】

(右)「富岡村青年団報第四号」【大1526-15】

1 社会教育のあらまし

 1 社会教育行政のうつりかわりと社会の動き      

 日本近代の社会教育は、明治初頭から大正10年まで通俗教育(つうぞくきょういく)と呼ばれてきました。国の通俗教育に関する事務は、明治18年(1885)から文部省学務局第3課が取り扱うことになりましたが、文部省や内務省、陸軍省など国の機関による社会教育行政が充実しはじめたのは明治30年代後半からです。

 明治44年(1911)、国の通俗教育調査委員会(大正2年廃止)が設置されました。その後、大正8年(1919)、文部省普通学務局内に通俗教育を担当する第4課が設置され、翌年には、文部省から各地方庁学務課内に社会教育担当の主任官である社会教育主事(しゃかいきょういくしゅじ)を任ずるよう通牒が発せられました。大正10年、官製用語の「通俗教育」が廃止、これに代わり「社会教育」の語が採用され、大正13年には普通学務局内に社会教育課が設置されるに至ったのです。

 こうした国の社会教育行政の流れを受け、埼玉県でも、通俗教育に関する事務は内務部学務課(ないむぶがくむか)がおこなっていました。大正10年に内務部に社会課が設置され、社会教育に関する事務を担いました。

 社会教育行政のうつりかわりは、社会の動きに連動していたと言えます。明治末年から大正時代に社会教育の整備・振興が進められましたが、これは国の主導で進められた日露戦争後の地方改良(ちほうかいりょう)運動(明治41年~)や、第一次世界大戦後の民力涵養運動(みんりょくかんよううんどう)(大正8年~)の展開、関東大震災(大正12年)を受けた国民精神作興運動(こくみんせいしんさっこううんどう)、大正デモクラシーなどに関わっていました。

 内務部社会課設置ノ件内務省社会局長ヘ報告民力涵養講演会等開会成績調

(左)大正10(1921).4.28「内務部社会課設置ノ件内務省社会局長ヘ報告」【大1181-2】

(右)大正10.10.12「民力涵養講演会等開会成績調」【大1180-5】

 

  

2 社会教育の組織

 社会教育が実施される重要な基盤の一つとして機能したのが青年団体でした。青年団体は、明治10年代頃から青年会や夜学会(やがくかい)という形で、各地で形成され始めました。そして明治末年から大正期、国によって青年団体や婦人青年団体の結成が推進されました。

 国はこれらの団体を社会教育実施の基盤として、より明確に位置づけ、明治38年(1905)、地方長官に青年団体の指導と設置に関する通牒(つうちょう)を出し、青年団体の育成・指導を委任(いにん)しました。さらに大正4年(1915)には青年団体形成の指標ともなる青年団体設置の標準を出しました。これにより、青年団体は一層その数を増やしました。埼玉県でも、各郡や町村で多くの組織が形成され、多彩な社会教育活動が行われていたことが、行政文書などからみることができます。

 なお大正13年(1924)4月には、県の青年団体の組織として、連合青年団(れんごうせいねんだん)が設立されました。

 埼玉県青年団ニ関スル調査表埼玉県処女会ニ関スル調査表

「埼玉県青年団ニ関スル調査表」・「埼玉県処女会ニ関スル調査表」【大1423-23-2】

 

2  社会教育の場

1 図書館

 図書館は、地方文化の向上や国民の知識の増進に資するものとして、社会教育施設の中心となりました。そのことは、社会教育に関する行政文書の多くが図書館に関連していることからもうなずけます。 

 埼玉県の図書館の歴史は古く、明治9年(1876)、浦和に書籍館(しょじゃくかん)が設置されたことから始まります。とはいえ、浦和書籍館はわずか10年で廃止となってしまい、その後も簡易的な施設が設置されるに留まっていました。

 しかし大正時代になり、民力涵養運動の具体的な方策の一つとして、簡易図書館の設置が推進されたこともあり、県内に巡回文庫や簡易図書館が設置されました。そして大正11年(1922)、県は公立図書館の設立を奨励する町村立図書施設設置要項を出し、その結果、県内図書館の数は飛躍的に増加しました。

 同じく大正11年、県教育会が運営する埼玉図書館が開館しました。埼玉図書館は大正13年に県に移管され、埼玉県立埼玉図書館が開館しました。ここに埼玉県における本格的な図書館の発足をみることになったのです。

 浦和書籍館通券県立埼玉図書館設置ノ件文部大臣認可指令

(左)「浦和書籍館通券」【明1843-118】

(右)「県立埼玉図書館設置ノ件文部大臣認可指令」【大1528-167-2】 

   

2 講話会(こうわかい)・幻灯会(げんとうかい)・活動写真(かつどうしゃしん)

 社会教育を実践する場として、通俗講演会や幻灯会、活動写真の鑑賞会が開かれました。埼玉県内で展開されたこれらの会の内容は、地方自治の改善、国民道徳の発揚(はつよう)、普通教育の奨励、産業の発展や衛生の普及など、多岐(たき)にわたっていました。とりわけ視覚に訴えるメディアとして、内容が理解されやすい幻灯や活動写真は、社会教育の有効な手段として用いられました。

 活動写真や幻灯の上映には、制限が設けられていました。明治44年、国の通俗教育調査委員会が「幻灯映画及活動フイルム審査規定」を定め、通俗教育の教材となるにふさわしいものを認定する制度を作りました。大正6年 (1917)には文部省によって「幻灯映画及活動フイルム認定規定」が定められ、さらに大正9年には、社会教育に適切と認められるフィルムを推薦する制度が設けられました。

 大正12年(1923)以降には、文部省が制作した教育フィルムが頒布されるようになり、大正14年には、活動写真フィルムの検閲規則が定められ、検閲を経たフィルムのみ公開が許されたのです。

通俗教育談会并幻灯会開催通知活動写真出張映写内規

(左)「通俗教育談会并幻灯会開催通知」【小林(正)家103】

(右)「活動写真出張映写内規」【大1423-2】

 

 

3 勤労とまなび

 明治20年(1887)以降、埼玉県では製糸(せいし)・織物業(おりものぎょう)が発展を遂げ、県内外の多くの女性が工場に雇い入れられました。明治30年代には、全国的に労働者の虐待が社会問題化しました。その改善策の一環として、労働者教育事業(ろうどうしゃきょういくじぎょう)が行われました。県内でも、数多くはありませんでしたが、工場内に女性労働者たちを対象とする教育機関を設置した製糸・織物会社がありました。そこでは、修身(しゅうしん)、学科、裁縫などがまなばれました。

 初等教育を修了した勤労青年を対象とする補習教育(ほしゅうきょういく)は、青年夜学会の他に、実業補習学校でも行われました。埼玉県において実業補習学校の設置が進められたのは、明治35年(1902)以降でした。

 大正7年(1917)、県は実業補習学校設置要項(じつぎょうほしゅうがっこうせっちようこう)を定め、実業補習学校の設置と、教育の内容充実をはかりました。この要項は大正13年に改正され、実業補習学校は公民学校(こうみんがっこう)と名を変更することになりました。青年訓練所は、小学校を修了したおおむね16~20歳の勤労青少年に兵式訓練(へいしきくんれん)を行う場所です。国は、大正15年に青年訓練所令(せいねんくんれんじょれい)ならびに青年訓練所規定を公布(こうふ)しました。そして昭和4年(1929)の文部省社会教育局の設置により、実業補習学校と同様、社会教育の実施機関として運営されました。訓練科目には修身や公民科、教練のみならず普通学科・職業科もありました。

 労働者教育事業調学事全般ニ関スル件各郡長ヘ指示

(左)「労働者教育事業調」【大1422-70】

(右)「学事全般ニ関スル件各郡長ヘ指示」【明3329-7】

 

4 自由大学(じゆうだいがく)―さらなるまなびを求めて―

 大正時代後半には、国民のまなびへの要求が一層高まり、自発的な学習活動が広がりました。その代表的な例として、「大学」と称された講座や講演会が催されたことが挙げられます。これらのなかには、地域の指導者層が中心となって組織されたもの、県内の大学生や卒業生が中心となって組織されたもの、県内団体の主催で組織されたものなどがありました。大学では、各方面から講師が招かれ、哲学や文学、実業などに関する講座が開設されました。開講の時期は農閑期(のうかんき)などに設定され、会期も一週間以内に収められるなど、勤労青年らに適したまなびの環境が整えられていました。

社会教育状況調査ノ件大里郡長ヨリ回答「社会教育状況調査ノ件大里郡長ヨリ回答」【大1248-2-4】