県民の日記念作文コンクール
県民の日の記念行事として、県内の小中学生から作文を募集して、優秀作品を表彰しています。
平成23年は「わたしのまちを自慢します」と「知事にアドバイスをしよう」の2つのテーマで募集。地元への愛着や未来への希望を生き生きと表現した素晴らしい作品1,749点が集まり、最優秀賞と優秀賞を含む60作品が入選しました。
こちらでは、最優秀賞と優秀賞を受賞した作品をご紹介します。
最優秀賞(小学生)
受賞者:羽生市立新郷第二小学校 5年 塚田 聖悟さん
作品名:秩父線とぼく
「ドーン」
という花火の音を合図に、私の生まれるずっと前から受けつがれているささらししまいのお祭りが、どこかなつかしいような笛の音と身の引きしまるような力強い太この音と共に大越地区を周り始めます。笛と太この音が大越地区いっぱいにひびきわたると、私は、何だか心がおどるようなわくわくした気持ちになります。
「今年もまた、夏が来たんだなぁ。」と、感じるしゅん間です。
このささらししまいとは、地域の人々の無病息災と稲の豊作を願い、今もなお、受けつがれているお祭りです。お腹に太こをかかえ、悪いものを寄せつけないぞというような勇ましい顔をして、大じし、女じし、中じしの三びきのししは、力強くおどります。
大じしとは、お父さんしし、女じしとは、お母さんしし、中じしとは、子どものししを表します。親子三びきのししたちが力を合わせて、この大越地区を守ってくれているそうです。
私のお父さんは、その3びきのししの中の大じしをおどります。頭には、重く大きなししをかぶり、右へ左へとお腹にかかえた太こをたたきながら体をゆらし、汗をいっぱいかいておどっているお父さんは、今では、きちょうなおどり子の一人です。
私は現在、学校できょう土芸能クラブに入っていて、地域のボランティアの方に笛や太こを教わりながら練習を重ねて覚えています。将来は、地域のみんなの幸福を願っておどりも覚えておどってみたいと思います。
夕日のしずむころになると、せいいっぱいおどったししたちの顔は、最初はこわいくらいにみえた顔だったけど、ほっとした表情をうかべ、優しいししの顔になっているようにみえました。
こうして、何年も前から受けつがれているささらししまいは、今では、市の指定文化財として、大切にあつかわれています。この先もずっと、絶やすことなくささらししまいを受けついでいかなければならないと、私は強く感じました。そして、これからも私のお父さんには、ししをかぶり、強く勇ましくおどり続けていってほしいです。
こうして、大越に昔から受けつがれているささらししまいがあるから、私は、今、おいしい米が食べられます。病気もすることなく、元気に学校に通うこともできます。きっとししまいが守っていてくれるからだと思います。お年寄りから小さい子どもまでみんなを幸せな気持ちにしてくれる伝統あるささらししまいを私は、大事にしていきたいと思います。そして、いつか必ず、私がししをかぶり、お父さんといっしょに太こや笛の音に合わせ、地域のみんなの幸福を願いながらおどりたいと思います。
最優秀賞(中学生)
受賞者:ふじみ野市立花の木中学校 2年 山崎 麻穂さん
作品名:私の街の七夕まつり
夏休みになる少し前、私は生徒会室で片づけや資料整理を先輩たちと一緒にしていました。学期末を迎えるこの時期は、生徒会室もいつもより少しあわただしい雰囲気になります。そんな時、先輩が「そうだ、上福岡七夕まつりの竹飾り審査員を決めなくちゃなあ」と言いました。「何ですかそれ?」と尋ねた私に、先輩は飾られている竹飾りを市内にある六校の中学校の生徒会役員と七夕まつりの実行委員の方で一緒に見てまわり、出品された竹飾りに得点をつけるのだと私に説明してくれました。今年も花の木中から二人の審査員を出すとの事、「やりたい人いる?」の問いかけに私は一番に手を挙げました。
当日はとても暑く汗をかきながらの審査となりました。実行委員の方が運転する車に乗って、市内を貫く県道の川越境から国道の手前までたくさんの竹飾りを見てまわりました。今までに何度も行ったことのある七夕まつりですが、こんなにも広い範囲に竹飾りがあることを初めて知りとても驚きました。また、このお祭りにはたくさんの店舗や市民の人たちが〞竹飾りを作る″ということでもお祭りに参加していることを知りました。
上福岡七夕まつりは、商店街などが中心となってスタートした小さなお祭りだったそうです。商売をさせてもらった感謝の気持ちとこれからの商売繁盛、街の発展を竹飾りに願いを込めたお祭りだったそうです。
この土地で生まれ育った私にとって、七夕まつりは毎年とても楽しみにしている街の行事です。お祭りの日はいつも朝からワクワクして、飾りつけや露店の準備が忙しく進んでいく街の落ちつかない感じが、私のお祭りを待ち遠しく思う気持ちを一層かき立てます。小さい頃、祖母にかわいい浴衣を着せてもらい、母に髪を結ってもらい、吹流しや飾りものがさがる中を歩くのがとてもうれしかったこと、たくさんの露店が並ぶ中でお囃子の音色を聞いたことなどを今でも覚えています。
父も祖父も、ここふじみ野市で育った一人です。二人にとっても七夕まつりは子どもの頃の夏の楽しい思い出だそうです。祖父は「昔は仙台の七夕にも負けないくらいたくさんの竹飾りがあったんだよ。」と話してくれました。二人の話では、以前は今よりもっと盛大で露店がたくさん並らぶにぎやかなお祭りだったそうです。また、祖父は子どもの頃に七夕まつりで見た手の込んだ和紙の竹飾りや七夕まつりの見物客に見せるために店頭に出された最新の電化製品のことを懐かしげに話してくれました。
今年の上福岡七夕まつりはお祭りが行われるようになってから五十七回目だそうです。この五十七という数字は単にお祭りの回数という意味合いだけではなく、このお祭りを支え続けてきた商店街の人々、お祭りを毎年楽しみにして出かけている私や父、祖父を含めた地元の人たちの気持ちの歴史だなと話を聞きながら思いました。お祭りを取り仕切る実行委員の方、丹精こめて竹飾りを作ってくれる方など多くの人がこの伝統を受け継ぎ守ってくれたからこそ、上福岡七夕まつりは五十七年という歴史を刻めたのだと強く思いました。
けれども悲しいことですが、最近では以前に比べて商店街のシャッターが下りた店が増えた気がします。確かに小さい頃に撮ったお祭りの写真と見比べると少しさびしくなったような気もします。
長い年月を経ると当たり前ですが、街の様子も住む人々も変わります。そして、私の知っている七夕まつりも父や祖父が子どもの頃に見た風景とは少しばかり変わっているかもしれません。けれども、お祭りを楽しみにワクワクする気持ちや街の人たちがお祭りを支えてくれていることは今も変わっていません。街の様子がどんなに変わっても、受け継ぎ続ける気持ちを持つ人とそれを楽しみにしている人がいる限り上福岡七夕まつりは続いていくと思います。
今回、竹飾り審査員として七夕まつりをいつもとは違う目線で見ることができました。祭りの歴史や準備に費やされるたくさんの時間やたくさんの経済的負担があることを知りました。ふじみ野市は平成十七年十月に隣接する旧上福岡市と旧大井町が合併してできた新しい街です。そんな年々変わっていく街で半世紀以上にわたって七夕まつりを伝統行事として開き続けることは、簡単なことではありません。だから私は、この七夕まつりを受け継ぎ守ってきたこの街と商店街の人々を誇りに思います。
私のような次の世代が伝統を受け継ぎ、進歩させられるような、地域につながりを持った大人になることがこの街に育つ私の役割りだと今回の経験を通してあらためて思いました。
優秀賞(小学生)
受賞者:東松山市立青鳥小学校 4年 福田 まなせさん
作品名:わたしの町はこんな町
わたしの住んでいる町は、さい玉県のほぼ中央にある東松山市です。近くには、さい玉県立こども動物自然公園があり動物とふれ合うことができます。毎年十一月には、日本スリーデーマーチというウォーキング大会がひらかれます。スリーデーマーチでは三日間かけて五キロメートルから五十キロメートルのコースを歩きます。ようち園の子からお年よりまで楽しみながら歩きます。外国の人や全国かく地から参加する人がいて、たくさんの人々と交流ができるので楽しみにしています。
名物には、みそだれをつけて食べるやきとりがあります。やきとりというと、とり肉を使いますが東松山のやきとりは、ぶたのカシラ肉を使い、からいみそだれを付けて食べます。東松山市には、やきとり屋さんがたくさんあり、わたしの家に親せきが遊びに来た時は、やきとりをみんなで食べます。とてもおいしいとひょうばんです。
私の通っている小学校は、関えつ自動車道の東松山インターチェンジのすぐそばにある、青い鳥と書いて青鳥(おおどり)小学校です。夏になると全校生とは、はだしの生活になります。休み時間には学校の中に流れている「すあし川」という小川でみんなでザリガニを取ったり、ささ船を流したりして遊びます。自然とふれ合える自まんの学校です。
校しゃには、はばたきそうな青い鳥の絵がえがかれています。一階から三階までかかれているとても大きな絵です。友達のお母さんが教えてくれたのですが、この絵は原ばくの図で知られている、丸木衣里さんと俊さんがかいてくれたへき画だそうです。わたしとお母さんはそのことを全く知りませんでした。お父さんは、わたしの先ぱいで青鳥小学校に通っていました。青い鳥のへき画の話をするとお父さんがてい学年のころ、丸木さんが絵の説明をしてくれた事を話してくれました。お父さんは、卒業してから何十年もたっているので青い鳥のへき画のことをすっかりわすれていました。お母さんは「そんな有名な人がかいてくれたのに子どもたちが知らないなんて、ざんねんだね。」と言っていました。
丸木衣里さんと俊さんは、ふうふで広島の原ばくの絵をかいた有名な画家で、東松山市内には丸木美じゅつ館があります。
わたしは丸木美じゅつ館へ行ったことがなかったので二人のことはあまりよくわかりませんでした。しかし、三月十一日におきた地しんによるつ波で福島県では、放射能のひ害を受けて、東松山市にもひなんしている人々がいることを知りました。だから、家の近くに原ばくについて伝えている所があるので何か一つでも知ることが大事だと家族で話し合い、夏休みを利用して初めて見学へ行きました。わたしは、原ばくや放射能のことはあまりよくわからなかったのですが、見学してみると、その時のすさまじさが伝わってきました。丸木さん達のかいた絵は原ばくのすごさを伝え、世界の平和を願うためにかいたのだと感じました。
青い鳥のへき画の真ん中に、はだの色がちがう子ども達が乗っています。青い鳥がわたし達で、国や人種のちがいから差別や戦争をしない、平和な未来へはばたいてほしいというメッセージだと思います。わたしはきっとここに住んでいなかったら原ばくについて知ろうとすることもなかったと思います。だから世の中の平和を守りつづけてほしいという丸木さんの願いをこの先もわすれずに伝えていきたいです。
東松山は、自然にかこまれて住みやすく地いきの人たちや友達と協力してラジオ体そうやお祭りをして楽しくくらせるだ好きな町です。何よりも、平和を発信しつづけていく自まんのまちです。
優秀賞(小学生)
受賞者:さいたま市立和土小学校 6年 河森 明依さん
作品名:私の夢がかなう町
埼玉は私の夢がかなう町です。やりたいことが何でもでき、挑戦してみたい!とやる気にさせてくれる所です。勉強やスポーツがしたければ、本屋、図書館、博物館や体育施設等が充実し、交通機関が整っているのでどこにでも行けます。私はバスケットと剣道で日本一を目指していますが、子どもたちも丁度いい人数が集まるし、コーチも地元で働きながら毎日のように夕方は私たちに指導してくれます。試合相手のチームも周りにあり、十分競い合えます。そして頭や体が疲れた時は自然を眺め木々の香りをかぎ、おいしい空気を吸えます。私の家は住宅街ですが、一歩周りは田んぼと畑、川があり、宿題を終えて気晴らしにうちの前のどぶでザリガニ釣りを楽しめます。庭には野鳥がさえずり、網戸にはいろいろな虫が飛んできます。そんな自然がいつでもすぐ近くにあふれています。息が詰まる大都会でもなく、何もない不便な田舎でもなく、私たちの住む埼玉は両方を身近にかね備えたとても落ち着き心温まる所です。どんな所にも小さな命がピカピカとかがやき、生き生きと育ち、夢に満ちたとっても素敵な県です。
私の通っている学校は桜の木が有名です。春になると、淡いピンクドームみたいに学校中花びらがまい、地域の人を幸せ気分にしてくれます。私もついつい授業中でも外に目が行き、桜に恋しています。クラス替えで仲のいい友と別れて落ち込んだときもやさしく包み見守ってくれホッと安らぎました。中庭には藤の花に囲まれているテーブルとかえる池があり、一番の思い出は大好きな藤だな給食です。たとえ仲間とけんかしても、スポーツで勝った負けたとせりあっても、藤の花に囲まれながらクラスのみんなで給食を食べるとぐんと仲良くなれます。あのときはみんなの笑顔が花みたいにきらきらしていて、給食もより一層おいしかったです。夏はグリーンカーテンで下のクラスやとなりのクラスとつるでつながっていくのがうれしくて、上のクラスとつながる日をうきうき待ちます。秋はイチョウの木からぎんなんが落ちてきてその臭い中で鬼ごっこ。冬は霜を踏みながら学校へ行き、掃除の時間に落ち葉巻きでふざけっこ、雪が積もる野原も多く、たっぷり雪遊びもできます。帰り道はクモの巣で綿あめを作ったり、虫取り、からすうりや山ぶどう、野いちごなどをつみ帰ってよくおままごとをしました。散歩するおじいさんおばあさん、犬を連れた人ともみんな仲良しです。どの季節も生き生きとし、どんな花や木、虫たちも季節ごとに笑顔で迎えてくれます。いつものどかで心が豊かになります。そして不思議な勇気をもらい頑張れることもたくさんあります。
自然と触れ合えて私は友達の良いところや素敵な所も純粋に見られた気がします。自然の中だから感じられたり気がついたり出来たことが小学校生活でほとんどだったと思います。自然は色んな思いや風景を感じながら、毎年風や雨に負けず花を咲かせて虫を成長させ、頼もしいです。私が大きくなっても自然と手をつなぎ、埼玉を守りたいなと思いました。自然が自慢ってなんだかかっこいいです。
私はこの前おじいちゃんとおばあちゃんと一緒にバラがたくさん植えられている公園に行きました。辺り一面バラの花ばかりで甘くて香水みたいな上品な香りがただよい、お姫様になった気分でした。すごく幸せでやさしい気持ちになれました。日本は四季の国なのでそれを生かして、自然をもっともっと楽しめ人が集まれる公園を造りたいです。埼玉県はサクラソウとケヤキの木がシンボルなので公園にも多く使われていますが、私もサクラソウのような美しい心を持ってケヤキのように夢に向かってぐんぐん大きくなりたいです。これからも小さな自然に感動でき、燃えている生き物のように素敵に輝きたいです。やさしくそしていつでも笑顔があふれている人がたくさんいる埼玉県ですから、それが日本、世界へとつながっていくことを願っています。
優秀賞(中学生)
受賞者:富士見市立東中学校 1年 柳下優香さん
作品名:大切なことを忘れかけている人々の心へ
私が住んでいるのは、南畑という地域です。今回はその南畑を例にあげて、今、人々の心に一番必要なものは何か、考えていきたいと思います。
私が住んでいる南畑は、富士見市の中にありますが、すごい田舎です。こんな南畑を、「不便だ」「田んぼばかりで何もない」などと言う大人がいます。確かに、車がないとどこにも行けませんし、駅だって近くになく、私の家からは四キロもはなれています。しかし、南畑には本当に何もないのでしょうか。私はちがうと思います。田舎だからこその体験がたくさんあると思います。
八月十四日、日が傾き、辺りが薄暗くなってきたころ、道のあちらこちらで、ぼぉとオレンジの光が姿を現し始めます。この光の正体、それは、提灯の明かりです。毎年決まってお盆になると農家の人々は家族全員で、ご先祖様をお迎えに、お寺や、決まった場所に歩いて向かいます。そして、お線香とナスやキュウリで作った馬をお供えして帰ります。この時、提灯の明かりは帰り道だけ灯します。なぜなのかとおじいちゃんに聞いてみると、「この明かりといっしょに、ご先祖様が自分の家に帰んだ。ご先祖様が道に迷わねぇように明かりをつけんだよ。」と教えてくれました。
そして十六日はご先祖様を送りに行きます。
今度は提灯の明かりは行きの道だけ灯します。
こんな体験、なかなかできませんよね。南畑の人々は伝統をほこりに思い、大切にします。私は、この伝統をいつまでも残していってほしいと思います。
初夏、隣の家に住んでいるおばあちゃんは、毎日のように、手作りの竹の子ご飯を持ってきてくれます。私は、その竹の子ご飯が大好きで、いつも二杯ぐらいおかわりして食べます。私と弟が「おいしかったよ」と言うとおばあちゃんは、うれしそうな顔をして、また次の日も持ってきてくれました。その他にもおばあちゃんは、たくさんの料理を作ってくれました。こんにゃくや、ふきの煮物、お赤飯、こしあんのあんこ・・・どれも、材料は全部自家製ですごくおいしいです。これらの料理はみんな作るのに手間がかかり、技術と根気がなければなりません。
また、よく近所の農家の方が、畑でとれた野菜をおすそ分けしてくれます。
私は、おばあちゃんの料理や、農家の方にもらった食材を食べると、なんだか胸が温かいものに包まれます。
ところで、今の子どもたちは、夏、暑いからと言って、クーラーのきいた室内でゲームなどをやっていることが多いですよね。しかし、南畑の子どもたちはちがいます。私は小学生のころ、よくセミとりをして遊びました。おじいちゃんに木にブランコを作ってもらったこともありました。また、友だちと近くの公民館に集まって、日が暮れるまでドッヂボールをして遊びました。ドッヂボールで汗びしょびしょになった体を冷ましてくれる夏風は、とても気持ちがいいものです。夏だからこそ外で元気に遊ぶことで、体も心も成長していくのではないかと思います。
そして、このように遊ぶことができるのも、たくさんの人の支えがあるからです。セミとりをした後にすいかを切ってくれるおばあちゃん。木にロープをくくり付け、ブランコを作ってくれるおじいちゃん。ドッヂボールをやっていて、気が付いたら夕方になっていた時、「もう五時だよ。」と教えてくださったり、雨が降ってきた時、「内に入りな。」と声をかけてくださる公民館の方。公民館からの帰り道、「おかえり。」と言ってくれる近所のおばさん。その一つ一つ、その瞬間に、私たちの周りにはこんなにもたくさんの人たちが、私たちを温かく見守っていてくれることに気付くのです。
私はこんな古い伝統があって、おいし食材があって、自然があって、人のぬくもりがある南畑が大好きです。
今、人々は、より便利で豊かな暮らしを築くために、日々、努力を重ねています。それはとても良いことです。しかし、そのために何か大切なことを忘れかけてはいないでしょうか。私は今こそ、人々が自然を感じ、人の愛を感じる心を持つことが必要だと思います。本当の豊かさは、そこに存在することに皆が気付き、最新の技術を身につけて、便利な暮らしを目指す社会と、自然と愛とともに生きてゆく社会を両立させられるように、一歩一歩進んでいくことが大切だと思います。
優秀賞(中学生)
受賞者:秩父市立大滝中学校 3年 山中美来さん
作品名:「神楽」を継承して
大蛇(おろち)が跳んだ。
私は「姫(ひめ)」の面の瞳の小さな穴から舞台を見ている。「八頭之神(やまたのおろち)」が狭い視界の中に入って来るのが見える。
全身が緑色のうろこにおおわれている。ウニのような、また、オオカミのようでもある大蛇の顔も緑色だ。長い髪は真っ赤な炎のようだ。右手の人差し指と小指を真っ直ぐに伸ばして私をにらみながら大蛇が近づいてくる。
私の役は「姫」。「八頭之神」は毎年一度現れ、村の少女を生け贄にしているのだ。
もうすこしのところで、「姫」に跳びつこうとした大蛇は桶に入った毒入りの酒を見つける。大蛇はお酒が好きなのだ。間もなく大蛇は寝てしまう。
笛は「ヒョロヒョロ」。太鼓は「テケテケ」鳴っている。「姫」の着物は重く、かつらは邪魔だ。
今度は「素戔鳴神(すさのお)」の登場だ。「素戔鳴神」は、静かで勇ましい。目が覚めた「八頭之神」と「素戔鳴神」が戦い始めると、増えと太鼓の音が一段と大きくなる。「姫」は両手を合わせて大きく上下に振って祈り続ける。
激しい戦いの末に、「素戔鳴神」は「八頭之神」を倒し、「姫」と一緒に退場する。
これは三峯神代神楽の『蛇打の座(じゃうちのざ)』という演目です。私たち大滝中学校の生徒は、保存会の方々や現在でも活動している神楽師さんたちに始動していただいて神楽の継承活動を行っています。
『蛇打の座』は、大蛇に狙われている「姫」を「素戔鳴神」が助けるという演目です。私はこの演目で「姫」を演じています。ただ歩くだけでも右足からでなくてはいけなかったり、膝を伸ばしてはいけなかったりと、とても大変です。しかし、先輩や神楽師の方々がとても丁寧に教えてくれたおかげでしっかりと舞えるようになりました。そして、今年は三年生になり、後輩に教えています。
次の演目は『千之理座 です。』
「ピキピキ」「トコトコ」。
笛と太鼓の音がぴったり合っている。目の前では「火男(ひょっとこ)」が四人揃って踊っている。ふざけ合ったり、おどけたりして舞台を回っている。
私は、紺色の羽織を着て、筒のような長い帽子をかぶって小太鼓をたたいている。笛の「ピキピキ」に合わせて「トコトコ」とたたく。
「火男」は、四人でいたずらばかりしていて、いつも村の人たちを困らせている。そこへ「八幡太郎(はちまんたろう)」が現れる。「八幡太郎」は弓の名人だ。
おどけながら舞台を回る四人の「火男」に「八幡太郎」が矢を打つと「火男」のお尻に矢が刺さってしまう。「火男」たちは助け合いながら「八幡太郎」に立ち向かったけれども、最後にはこらしめられてしまう。
見事に「火男」を退治した「八幡太郎」が「弓神楽」を舞って演目は終わる。
三峯神代神楽はとてもすばらしい伝統だと思います。しかし今、どんどん神楽のできる人が少なくなってしまっています。中学校の生徒数も十八人になってしまい、二つの演目をやるのは大変です。でも、がんばっています。
神楽には、人を引き付ける力があると思います。また、人に力を与えることができると思います。
夏休みに行われた「ふれあい講演会」でお話をしてくださった高橋さんは、神楽師です。三十歳くらいの男の人です。高橋さんは、私たち大滝中学校の出身です。大先輩ということになります。『大蛇が見た世界』という題で、高橋さんの海外での活躍を話してくださいました。高橋さんも、中学校時代に『蛇打之座』の「八頭之神」を演じていたのです。
高橋さんは、「神楽師として、毎年何回か埼玉県の大滝に戻り、三峯神社の神楽殿で”八頭之神”を演じることは、私が生きていくうえで最も大切にしていることです。」
と、おっしゃっていました。
私にもわかる気がします。
ふるさとの歴史の一部ではあるけれども、私自身がその担い手となることは、私の自身となってきています。そして、私の演じた「姫」は、いつでも私を見つめ、応援し、守ってくれると私は思います。
私は、秩父市大滝のすばらしい伝統「三峯神代神楽」を受け継いでいきます。

