「塙保己一賞」受賞者を応援します!~医学博士 長尾 榮一さん~
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長尾 榮一(ながお えいいち)さん |
| 東京都文京区在住。 日本初の全盲の医学博士。 現在は筑波大学教授を退官し、長尾鍼療院を経営。 |
平成20年度大賞受賞者である長尾榮一さんは、4歳のとき敗血症が原因で両目を失明、さらに右耳の強度難聴という二重のハンデを負うこととなりました。「幼かったこともあり、(ハンデは)苦にならなかった」という長尾さんは、官立東京盲学校(現在の筑波大学付属視覚特別支援学校) 中等部鍼按科(しんあんか)を卒業後、当時の盲学校の最高学府であった師範部に進学。長年にわたり、教育指導者として視覚障害者の職業的自立のために尽力されました。
日本初の全盲の医学博士であり、元筑波大学教授である長尾さんは、「医学史」「漢方概論」などの著書も多数あり、東洋医学の発展に大きく寄与され、昭和62年には内閣総理大臣賞を受賞しています。
長尾さんに、これまでの歩み、今後の活動などについてお聞きしました。
| 塙 保己一賞とは 県出身の江戸時代後期の全盲の学者「塙保己一」のように、障害がありながらも 顕著な活躍をしている方やその支援者の方を表彰するものです。 |
過去の受賞者の皆様へインタビュー |
長尾さんは敗血症が原因で失明され、また右耳の強度難聴にもなられたとお聞きしています。それは何歳頃のことでしょうか。また、どのようにお感じになりましたか。
4歳の時に、右耳の中耳炎がきっかけで、細菌が血液に入り敗血症にかかりました。それが原因で、目が見えなくなり、右耳が強度の難聴になりました。
目が見えなくなった瞬間のことは今でもよく覚えています。看病をしてくれている祖母の腕が手先に向ってスルスルと見えなくなっていき、目が見えなくなってしまったのです。
ただ、幼かったこともあり、落ち込むことはありませんでしたね。目が見えないものですからよくいろいろなところにぶつかりましたが、弟や友達とチャンバラをやったり、三輪車に乗ったりして外で遊んでいました。
長尾さんは長年にわたり後進の教育に尽力されていますが、どのような経緯で学問・教育の道に進まれたのでしょうか。
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長尾さんの生活を支える愛用の道具たち(1) (左から)「携帯電話」・「盲人用腕時計」 携帯電話に搭載されている30冊以上の辞書・事典検索機能は長尾さんの研究になくてはならないもの。また、電車の乗換案内も活用している。 盲人用腕時計は、上蓋が開き、触って時刻を確認できるようになっている。「教授会に出席した折などに、周囲に気をつかわせずに時間を確認でき重宝しました」と長尾さん。 |
官立東京盲学校(現在の筑波大学付属視覚特別支援学校)中等部には 鍼按科(しんあんか) と音楽科がありました。私はピアノにも興味がありましたので、入学の際どちらの科に入るか迷いましたが、知り合いに鍼と電気治療などを組み合わせた物理療法で成功している先輩がおりましたので、ピアノは趣味で続け、学校では鍼按科に進もうと決めました。
鍼按科を卒業した当時は17歳と若く、開業は難しいだろうと思いましたので、当時の盲学校の最高学府である師範部に進みました。
幸運にも、法改正により師範部在学中に大学入学の道が開かれまして、早稲田大学の第2文学部に入学しました。師範部卒業後、20歳からは、昼間は母校の教員としての教壇に立ち、夜は大学で学びました。苦労もありましたが英文科を卒業し、63歳で定年退職するまでの43年間に約1,800人の生徒を教えました。全国各地に教え子がおり、現在盲学校で鍼灸を教える教員の多くが私の教え子です。
多くの生徒さんを育てられるとともに、現在も鍼療院を続け、臨床に携わっていらっしゃいますね。
これまでに診た患者さんは、定年までの間に約10万人、定年後の15年間で約2万人、合計で12万人にのぼります。鍼灸の施術は体力勝負ではなく、経験により技術が上がりますし、人の身体はひとりひとり違っていて、とても興味深いですね。患者さんの症状が良くなったと聞くとやはりとても嬉しいです。今後も、自分の興味のある分野の研究や趣味の時間を持ちながら、診療も続けていきたいと思っています。
長尾さんは「医学史」「漢方概論」等の多くの著書・論文を執筆されていますが、目が見えない状況での研究・執筆には多大なご苦労があるように思いますが・・・。
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| 長尾さんの著作。(左から)「鍼灸按摩史論考(しんきゅうあんましろんこう) 」「医学史」「漢方概論」。 その緒言や序文からも、長尾さんの学問に対する強い尊敬の念や関心、後進に希望を持って医の道に携わってほしいという願いが伝わってきます。 |
そんなことはありません。健常者は目から情報を得ることが多いかもしれませんが、私はそれを耳や指を通じて行っているだけですから、健常者と同じこと。特別なことではないと思っています。
大学生のときは、点訳本を船便で貸し出してくれる英国国立点字図書館を利用したり、アルバイトの方に本を読んでもらったりして学ぶことができました。医学の研究については、妻が亡くなるまでは、妻に協力してもらっていました。
長尾さんは日本で初めての全盲の医学博士でいらっしゃいますが、博士号を取られるまでにご苦労された点、印象に残っていること等はありますか。
私は「皮下血行動態(ひかけっこうどうたい)と経路経穴現象(けいろけいけつげんしょう)」という論文を提出し試験を受けて、東京大学で博士号の学位をとりました。実験を行い、実証データをもとに論文を書くのですが、私の書くものは点字ですので皆さんに読んでもらう形にしなくてはいけません。妻が点字を文字に直す作業を手伝ってくれたのですが、よくけんかをしましたね。私の思う通りの表現になるまで、何度もやりとりをするものですから。私には子供が3人いますが、当時は「お父さんとお母さんはけんかばかりしている」と思っていたでしょうね(笑)。
でも、妻の協力があり論文を提出でき、試験当日は妻が流すスライドに合わせて説明を行いました。合格の知らせは受験から2か月ほど経ってようやく届きました。本当にうれしかったですね。昭和54年9月26日でした。本当に嬉しくて、今でもはっきり覚えています。
妻は7年前に亡くなりましたが、私の研究を共に行う良い戦友でした。
今回、大賞を受賞され、どのようにお感じになりましたか。
塙保己一は530巻、667冊にのぼる書物を収集し「群書類従」を編さんしたほか、現在の400字詰めの原稿用紙のもととなる版木を世に残しました。この世界遺産にも匹敵する偉業を成した方の名のついた賞を、自分がいただいても良いのかと恐縮する気持ちでいます。
今後のご自身の目標、夢についてお聞かせください。
現在、日本点字の父と言われる石川倉次の上司で、ブライユ点字(フランス)の翻案に尽力した小西信八の伝記の編さんに携わっています。塙保己一だけではなく、盲人の中には偉業を残した人が多くいます。例えば動詞の活用を発見した、本居春庭(はるにわ)(本居宣長の息子)もその一人です。今後、更に盲人史を研究し、本の出版等を通じて目の見えない人々の偉業を伝えていきたいと考えています。
現在、興味・関心をもたれていることはどんなことでしょうか。
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長尾さんの生活を支える愛用の道具たち(2) (左から)「みるぶる」・「盲人用方位磁石」 「みるぶる」は超音波により4m先までの物体を感知し、振動と音でその存在を知らせる。この「みるぶる」と、触って方位を確認できる方位磁石の2つは長尾さんの外出の心強い味方。 |
趣味はたくさんありますね。声のハーモニーが楽しめるコーラス、良い運動にもなる社交ダンス、リコーダーや俳句など。それから、美術館に行くのも好きです。静岡に行った際、県立美術館でロダンの彫刻に触ったのがきっかけなのですが、そのときはぞくっとしましたね。それから、彫刻を触り、美を感じることにはまってしまいまして、都内や信州などの美術館に行ったり、自分で彫刻を作り展覧会に出品したりしています。やりたいこと、読みたい本などがたくさんあり忙しいくらいですが、毎日がとても楽しいです。
最後に、長尾さんの取材ページをご覧になっている方に向けてひとこと、メッセージをお願いします。
平成19年9月に、日本もようやく国連の障害者権利条約に署名しました。これから条約の批准に向け、国内法を合わせて整備していく段階です。
世界的に見ても言えることですが、障害者と健常者とを違う人間のように思ったり差別をしたりする傾向があります。けれども障害者はたまたま目が悪かったり足が悪かったりするだけ。人間にとって一番大事なのは「心」です。「心」という点では、障害者や健常者、男性や女性といった違いはなくみんな同じ。ですから、差別をしないように心がけてほしいですね。





